沖縄海邦銀行様会員誌『かいぎんエコマガ』2022年12月号vol.213に取り上げていただきました。

沖縄海邦銀行様の会員誌『かいぎんエコマガ』(2022年12月号vol.213)の「地産地商vol.134」に池武当新垣三線店うるま店を取り上げていただきました。

ご許可いただきましたので全文掲載させていただきます。


釣具店から三線店への転換

 沖縄市に本店を構える「池武当新垣三線店」は三線の製造や修理、販売を行う専門店だ。「創業は私が生まれた1978年で、店と同い年44歳です」と話すのは専務取締役の新垣茂さん。2001年にうるま市にオープンした「池武当新垣三線店うるま店」で店長を務める。
 父であ代表の新垣喜盛さんは81歳の今も現役の三線職人で、以前は池武当で釣具屋を営んでいた。1978年の道路交通法変更で右側通行から左側通行になり、車の来店が不便になったことから、少しずつ事業の転換を模索した。「釣具店に三線の職人がよく接着剤を買いに来ていたことら、三線店への個別営業を思いついたようです」。そのうち三線職人たちと親しくなった喜盛さん は、見よう見まねで三線の製造も始めた。奏者や唄者ではなく、三線の素人だったからこそ既成概念にとらわれずさまざまな工夫を凝らした。「父は常に『どうすればお客さにとって使いやすい三線になるか』を考えていますね」

独自の技術で三線製作を革新

 例えば、胴部分の皮張り作業に用いられる伝統的な「くさび打ち」には「下準備に長い時間がかかる」「皮張りの破れなどのロスが大きい」「皮張りにムラが出やすく良い音質が得られない」などの課題があった。そこで、喜盛さんはジャッキによって均一に胴に力をかけながら皮張りをすることでそれらを改善した。茂さんは「うちが開発した製作技術が今ではほとんどの三線店で使われています」
と胸を張る。また、三線の音色は皮を 強く張ることで響きの良い音になるが、強すぎると皮が破れてしまう。破れにくい人工皮はあるが本皮の音の柔らかさや魅力には及ばない。さらに、本皮張りに使う輸入品のビルマニシキヘビの皮は、為替レートにも左右されやすく、何年かおきの張り替えはお客さまの負担にもなる。そこで開発したのが「本蛇皮強化張り」だ。三線の胴の木枠に合成繊維を張り、その上から本皮を張り合わせた二重張り構造にすることで耐久性を高めた。「父が開発した独自の特許技術製作が三線の普及に大きく役立ったと自負
しています」
ほかにも、2016年に沖縄職業能力開発大学校に依頼した「三線自動皮張り装置」は、同校4年生が卒業研究として開発に取組み、小型化や改良を重ねた。「父が40年以上かけて培ってきた熟練の技術が、皮を張った音の数値化によって“見える化”し、品質の安定や作業効率の向上につながりました」。職人の技に独自のアイデアやテクノロジーを掛け合わせているのが新垣三線店の強みだ。

子や孫へつなぐ三線

 リーズナブルな外国産の棹から、黒檀などの原木を削り出して子や孫に代々受け継ぐ一生ものまで、価格やグレードが幅広い三線。磨きをかけた棹から原木の意外な色や模様が浮かび上がることもあり、神秘的でもある。最近は若い方から「祖父のボロボロの三線をよみがえらせたい」というメンテナンス依頼も増えつつある。「ピカピカの三線に感激する姿を見るとうれしい。今後も20年、30年とご愛顧くださるお客さまとのつながりを大切にしたい」と目を細める。
 人気ドラマの効果もあり、全国的に三線人気が高まっている中、全国に三線の魅力を伝えて県外ファンを増やしたいと、11月には県人会活動が盛んな横浜市鶴見区の「鶴見ウチナー祭」に初出店した。三線の販売や予約、体験レッスン、修理の相談を行い大盛況だったという。
「三線は本当に奥が深くて楽しい」と微笑む茂さん。自身も2002年から独学で三線を始め、今では子どもや初心者のお客さまに手ほどきをするまでに。「音色を聞いたり奏でたりすることで三線を始める人もいます。どこにいても沖縄を感じられる相棒としてずっとそばに置いて欲しい」。アイデアマンの父とは対照的に、茂さんは長いスパンで物事を考え、開発技術の精度を上げながら、より確かな技術
の習得に励むタイプ。多くの愛好家に名指しで三線製作を依頼されるようになることが、これからの夢だ。
『かいぎんエコマガ』2022年12月号vol.213


当店ホームページに新垣三線ヒストリーという全くコンテンツが入ってないページがあるんですが、こういうことを書きたかったんですよ^^;

2022年は私(茂)が大学卒業後父と兄、姉たちと働きだして20年目の年で振り返る意味でも貴重な取材でした。